土佐山地域

土佐山地域

オーベルジュ土佐山ができるまで

土佐山には、 おいしい食材を届けたい、美しい産品を届けたい、
という村人たちの想いから生まれる、自慢の特産がたくさんあります。

『山と人をつなぐ、未来への種まき』山本堪

2018 .10 .18



山と人のつながりづくりを目指す、山仕事とデザインのスタジオ「モント工房」代表・山本堪さんに、土佐山との出会いや活動について伺いました。

——— 土佐山に移住する前は、長い間海外で暮らしていたそうですが、 どんなきっかけから日本に帰国したのでしょうか?

山本 帰国する前は、 ベルリンでアートの勉強をしていました。ドイツは、戦時中にマイノリティを排除したため、優秀な人材の多くを失ってしまい、経済も文化も衰退したという反省から、外国人を寛容に受け入れる体制が整っていて、世界中から面白いアーティストが集まっていました。

僕は、とても悔しかった。

山本 外国人の僕にとっても、ベルリンはとても快適で住みやすい街だったけれども、そこに甘えて暮らすことが、なんだかとても悔しかった。そんなことを感じ始めてから、地元のために、地域のために、自分ができることを具体的に考えるようになりました。

——— ご出身は高知県越知町ですね。土佐山とはどんな出会いだったのでしょうか?

山本 ベルリンにいる間に高知県の情報を探していた中、知人を通じて「夢産地とさやま開発公社」が人財育成事業を始めることを知りました。その事業が、後の「土佐山アカデミー」*です。僕はその立ち上げから携わりました。

*1「特定非営利活動法人 土佐山アカデミー」自然と調和した豊かな暮らしと社会のあり方を形にするために、新たな出会いやアイデアを生み出す学びの場。


(土佐山アカデミーの川のプログラムでの一コマ。鏡川で地域の人たちと魚取りをしています。)

——— 高知県以外へ行くことは考えなかったのですか?

山本 東京に住んでいたこともあるのですが、東京の社会は自分の事としては捉えづらく、それだとベルリンにいた時と変わらない気がして、地元である高知県であれば、自分事としてやっていけると思いました。

高知県と言っても、実は土佐山のことはほとんど知らなかったのですが、歴史を調べていたら、社会教育や公民館活動などがとても興味深かったことも大きいですね。僕が帰国したのが2011年の夏。日本は東日本大震災後で、社会的にも地方や地域での暮らしにちょうど目が向き始めていた時期でした。

——— 土佐山に来て8年目ということですが、 価値観など変化はありましたか?

山本 自分自身の価値観としては大きな変化はないですが、地域での立ち位置や関わり方に変化はありますね。初めは「土佐山アカデミー」の一員としての立場が大きかったですが、いまは個人としての関わりが多いです。

記憶が、風景や匂いなどの五感で残っている。

——— 地域ではどのような活動をしているのですか?

山本 僕が住んでいる桑尾地区で「土佐山七厘社」*を4年ほど前に立ち上げました。地域の人たちとお酒を飲みながら昔の話をしていると、みんな一番楽しそうに話すのが、炭焼きでした。記憶が風景や匂いなどの五感で残っている。そんな炭焼きにとても興味を持ちましたね。80代の長老たちに教えてもらいながら、廃れていた炭窯を共に再生しました。七厘社での活動や、土佐山アカデミーでも火を使うプログラムをやっていたこともあって、地域の消防団にも入りました。

*2「土佐山七厘社」炭焼きで山と人を元気にするプロジェクト。


(炭窯落成時の集合写真。長老たちの嬉しそうな顔が忘れられません。)

山と人をつなぐ、モント工房。

——— 今メインの活動である「モント工房」は、どういった経緯で生まれたのでしょうか?

山本 ずっとデザインや芸術を学んできましたが、美術をやるというよりは、昔の暮らしや伝統文化・技術を現代に置き換えることで、新たな価値が出る活動をやりたいと思うように興味がシフトしていきました。幼少期に山で育ち、山に入って作業するのも好きなことから、山仕事とデザインによって、山と人をつなげる事ができないかと始めた活動が、「モント工房」です。

——— 拠点としているこの工房は、ご自身で作られたのですか?

山本 いえいえ。ここは、元々は「さいとう工芸」さんの工房で、木工職人である斉藤数三さんの制作拠点でした。ところが、ご高齢なこともあって、後継者を探していたのですが、手を挙げる人がなかなか出ず、いよいよ工房を解体すると聞いてここを残したいという気持ちから、僕が引き継ぐことになりました。


(たくさんの木材に囲まれたモント工房内、木工の制作現場。)

——— この工房を使って、今後やっていきたいことはありますか?

山本 もう少し環境を整えて受け入れ体制ができたら、アーティスト・イン・レジデンスをやりたいですね。ドイツやフランスからの友人とここで一緒に作業したことがあるのですが、滞在したいという話もあったので需要はあると思っています。先日も「Bamboo Glocal Village」というプロジェクトで一緒に活動している、フィリピン人アーティストのエドガー・バナサンさんが滞在しました。

——— 「Bamboo Glocal Village」とは、どんな経緯で始まったプロジェクトなのですか?

山本 「EDAYA」*と「土佐山アカデミー」とで一緒に取り組んでいるトヨタ財団の国際助成プログラムなのですが、「EDAYA」の彩香さんとは、あるビジネスコンペで一緒になって、お互いの活動場所(土佐山とフィリピン)での問題意識や価値観が似ていたことから、高知で竹楽器づくりワークショップを一緒にしたのがはじまりです。そのあと、トヨタ財団の事業で相談があり、一緒に活動することになりました。

*3「EDAYA」フィリピン・ルソン島北部山岳先住民族カリンガの文化にインスパイアされ、Wisdom Junctionのコンセプトを軸に、モノ・コト・ヒトをデザインするクリエイティブプロジェクト/ 社会的企業。山下彩香さんとエドガー・バナサンさんが共同創業。

次世代へとつながる種まき。

——— 「Bamboo Glocal Village」では、どんな取り組みをしているのですか?

山本 アジアで展開できる、竹を軸としたワークショップのモジュール開発です。学校や地域などの団体が、このワークショップを教材として使用できるようなマニュアルづくりが目的で、 若い世代が将来、この経験を通じて山に興味を持ち、竹を使って何か活動をしたいと思えるような、未来につながる種まきのような取り組みをしています。


(設計したワークショップがアジアの様々な地域で展開できるかどうかを確認するため、これまで土佐山を含む三ヶ国4つの地域でプロトタイプを実施しました。こちらはフィリピン・カリンガ州マグシーライ村でのワークショップの様子。)


(同じくフィリピン・バギオ市の高校でのワークショップの様子。)

——— アジアの様々な中山間地域を訪ねる中、改めて今後土佐山でやっていきたいことはありますか?

山本 時代と共に変化していく里山をどうしたらいいのか、という課題があるのですが、 理想の里山の姿が、僕の中で今はまだボヤけています。昔の里山の姿は形に残っていないので、当時を知る地域の長老たちに話を聞くことで、できるだけ記録に残すようにしていきたいです。そこから、いまの現状と照らし合わせることで、モデルケースになるような山と暮らしの理想な在り方を模索したいですね。あと、生業としては、今まではプロジェクト開発などが多かったですが、これからは、木工や竹工芸などの「モノづくり」に専念していきたいです。


(山本さんご自身で制作したモント工房の看板が迎えてくれるエントランス。)

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< お話をうかがった人 >
山本 堪(やまもと かん)
高知県越知町出身、土佐山桑尾地区在住。ベルリン芸術大学を経て「土佐山アカデミー」創立に携わる。山仕事とデザインのスタジオ「モント工房 」代表。土佐山桑尾地区公民館長。日々の中で幸せを感じる時は、地域内を車で走っていると、みんなから笑顔で挨拶をしてもらえ、”自分の地域” で暮らしている実感が持てる瞬間。最近の趣味は、ツリークライミング。普段見えない風景を、木の上から楽しんでいる。

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