土佐山地域

土佐山地域

オーベルジュ土佐山ができるまで

土佐山には、 おいしい食材を届けたい、美しい産品を届けたい、
という村人たちの想いから生まれる、自慢の特産がたくさんあります。

『ここから、すべてが始まった』前田尺成

2020 .12 .01

オーベルジュ土佐山のある「中川」(中切、久万川、東川地区の総称)と呼ばれる集落には、地元の人たちが協力し合い、地域活性化を目指すコミュニティ「中川をよくする会」があります。3代目会長である、前田尺成さんにお話をお聞きしました。

——— 今日は「中川をよくする会」のお話を伺いたいと思います。はじめに、前田さんの生まれや育ちについてから聞かせて頂けますか?

前田 土佐山中切地区生まれ。 中学卒業後は、高校には進学せず、帰全農場(全寮制の農業研修をする場所)へ行った。2年間農業の基礎を学んだ後、地元に戻って青年団などの活動をしながら、農業や林業を3年ぐらいしてたかな。その後、農業協同組合に入り、営農指導員をしていた。

——— 営農指導というのは、具体的にどういった内容でしょうか?

前田 主に作物の指導をしていたんけんど、業績として今も残っているものは、「ハウスみょうが」。蕗地栽培だと、8月〜10月しか収穫出来ないが、ハウスを導入すれば、周年収穫が可能になる。あとは、柚子の指導もしていた。そのなかで、旭食品から「土佐山村のゆずぽん酢」の販売が始まって、今も土佐山の1つの特産になっているね。そして、農業協同組合で21年間勤めた後、植物工場(夢ファーム土佐山)へ移って、サラダ菜やリーフレタスの栽培をやっていた。

——— 植物工場というのは何ですか?

前田 電気・空調・温度管理などをすべて機械で制御して行うシステムやね。サラダ菜やリーフレタスは、30日間で一気に出来てしまう。

——— なるほど。計画が立てやすく効率がいいということですね。

前田 そうやね。そこで工場長として勤めるなか、個人的には米や梅も作っていた。


(オーベルジュ土佐山BBQ広場の横 に建つ「いろりの館」)

ここから、地域おこしがはじまった。

前田 少子化・高齢化・過疎化という波が押し寄せるなか、何とか地域を活気溢れるようにしたいと、初代会長となる鎌倉寛光さんを中心に誕生したのが、「中川をよくする会」。難しい会則などなく「なんでもいいから自分たちのできることからはじめよう!」が会の基本方針。そして、視察として、兵庫県養父町に行った時に気に入ったのが、いろりを囲んで住民が話し合う場所だった。自分らにもそういう場が必要じゃないかと打診をしたら、みんなが「それええろ、ぜひやってみろう」となり、自分たちの手で造ったのが、この『いろりの館』。

——— 自分たちの手で、すべて造ったのですか?!

前田 そうやね。自分が言い出しっぺだったので(笑)、さっそくお正月からみんなに招集をかけて、雪がチラついていた日だったけんど、山から木を切り倒して、皮を剥いで、小屋を建てる準備をした。

——— それは、すごいですね、、! 設計などのデザインも自分たちでしたのですか?

前田 空気孔になっている小さな屋根は、道後温泉がイメージなんやけんど、そういった自分の頭の中にある想像図を地元の大工さんに伝えて、設計してもらった。


(「いろりの館」で囲炉裏を囲みながら話す前田さん)

——— どのくらいの期間で造り上げたのですか?

前田 1ヶ月くらいやね。「いろりの館」が完成してからは、ここでいろりを囲みながら、みんなで議論を戦わせて、地域をこれからどうしていくかを話し合った。まさに、地域おこしが始まった場やね。みんなの想いがつまっちゅう。

——— 「中川をよくする会」の原点ということですね。みなさんの団結力が本当に素晴らしいですね。

前田 オーベルジュ土佐山の落成時* には、お祝いに 「もち投げ」をやろうということになって、もちを投げるなら、自分たちの手で作ろうと、もち米の田植えをした。23俵ほど収穫して、みんなで賑やかに祝いもち作りをしたね。

*10年の歳月と何十回ものワークショップを重ね、地元の資源を活用し、地域の振興をはかる集落経営構想により生まれたのが『オーベルジュ土佐山』です。

何もしないでは、地域が廃れる。

——— 「中川をよくする会」は、その他どういった活動をしているのでしょうか?

前田 直売所「とんとんのお店」の支援や、県道 の草刈りといった収入事業。それから、2月-3月にある梅祭りを筆頭に、年間通したさまざまな地域行事があるきね。春には、子どもたちの入学・卒業を祝う会。6月には、ホタルまつり。夏には、鮎のつかみ取りや、土佐山夏祭り、夕涼み会。そして、自分が会長になったらやろうと、ずっと心で温めよったのが、12月に行っている棚田キャンドル!

——— 1つ1つキャンドルを並べる作業は、本当に大変だと思いますが、棚田に浮かぶキャンドルの光は、とても美しいですよね。

前田 そして、こういった行事をやるには、情報共有が必要ということで、広報誌として「うら向い通信」を発行した。 “うら向い” は、土佐弁で「谷をはさんで集落が向かい合っている」という意味。


(12月中旬に行われる「清流鏡川棚田キャンドル」)

——— 「中川をよくする会」がいま抱えている課題はありますか?

前田 日本全国同じだとは思うけんど、高齢化社会に向けて、どのような行事や支援をしていったらいいかが、課題やね。70歳以上の住民が、36%に上がってきている中、次に繋いでいくためには、どうしたらいいか。何もしないでは、地域が廃れるきね。 また原点に戻る時期なのかなと思う。

地域内に国道があれば、車の往来があって、道の駅とか建てることで農産物は売れるけんど、この地域は、そうではない。ここに来てもらうために、何かをつくる必要がある。そのためには支援組織が必要やね。自分としても何をしたらいいのか、各地に視察などに行って、アイデアを練っている。ここで暮らしているからには、指をくわえてるだけではいかんきよね。

日本全国のナンバーの車が停まっていると、
空気が違う。

——— 「中川をよくする会」が生まれて20年になると思いますが、前田さんにとって、思い出深いことは何でしょうか?

前田 やっぱりみんなで1つの目標に向かって、つくってきたことやね。あと、オーベルジュ土佐山が出来たことで、地域の環境が変わった。ホテルがあると、夜に市内から上がってきても、山の中に光がある。ホテルがなかったら、きっと薮になってしまっていたやろうし、真っ暗だったろうね。車が通らない道には、落ち葉がどっさりあったり荒びれちゅうけんど、ここは、車の往来があるから道が光るんよね。ホテルの駐車場に、日本全国のナンバーの車が停まっているのを見ると、活気があるなぁと思う。つくってきて、良かったなぁと自負しておるがです。そして、次は何をしようかなと(笑)。

——— 何か新しい取り組みはありますか?

前田 高知大学地域協働学部と連携した活動が本格的に始まったので、棚田キャンドルや梅祭りなどの行事だけではなく、田植えや柚子の収穫、山の手入れなど、卒業後も残るような、長い目で見た取り組みをやらなと思っちゅうところ。

——— これからの土佐山のために、繋いでいきたいことはありますか?

前田 自然を全部よう活かしきれていない中、孟宗竹の管理も必要やね。土佐山では以前、筍が盛んだったけんど、最近は廃れてしまってきちゅう。間伐材の活用方法も、考える必要がある。竹を使った庭ほうき作りや籠づくりなど 、昔からの知恵や技術を繋いでいきたいという想いでつくったのが「伝承館」。この前の棚田キャンドルでは、高知大学生がこんにゃくづくりを一緒に取り組んでくれた。そういうふうに、都会の人たちとも交流しながら、地元の人たちも楽しく出来ることをやっていきたい。


(オーベルジュ土佐山の入り口にある「伝承館」)

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< お話をうかがった人 >
前田 尺成(まえだ せきじょう)
1953年土佐山中切地区生まれ。「中川をよくする会」3代目会長。好奇心旺盛で実行力があり、常に動いては、新しいアイデアを考えている。好きなことは、海に船でいく魚釣りや、夏の鮎採り。

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